ストーリー5

・ストーリー1

皆さんは積木くずしという

作品をご存知でしょうか?

1983年に放送され以来、

話題を集めました。

親と子の200日戦争!

父は想像したそうです。

この子もそんな子になるんじゃないかと!

だから友達も作らせたくはなかった。

と父は言いました。

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そんな私に気づかせてくれた出来事!

当時学校でボランティアのため

歌を歌いながら、

手話で伝えるという活動を

しょうと先生が提案!

すると、結果反響を呼びました。

私は考えました。

当時も私は刑事ドラマが大好きでした。

なぜかと云うと、どんな事件の真相でも、

必ず暴いてくれるからです。

そこには必ず

そこへ行き着くまでの

原因があり、思惑があります。

わたしはふと思いました。

外に一歩出れば監視カメラが

あります。たとえ何かしら

話せない状況にあっても

手話ならカメラに映る!

自分のためだけではなく

困っている人の力にもなれる!

これは逆に身に付けていても

損はないかも。。。と。

そして私の門限は小学低学年時は

16時小学校高学年から17時までと。

中・高と、変わらず続くのですが。

私は隠し事はするな!と父から言われて

育って来ました。

そのため小学校低学年の頃から

父を説得させようとするのですが。

認めてはもらえませんでした。

お前らぁのくさったい友達なんかのために。

なんのその繋がりに意味があると

何をしてくれるがな!?

一度でもお前を助けに来たか?

いらん!と言われるのです。

なので友達との食事・

バースデーパーティーのお誘い・

夏祭り。

殆ど断らなくてはなりませんでした。

大体父の機嫌の悪い日には

17時に帰宅しても

結局はボコられたりも

ただ多くありました。

小学校の頃提出しなくてはいけない、

集金袋は大体毎月悲惨でした。

ボロボロに破けて血の着いた袋。

先生も次第に見て見ぬ振りをします。

毎月提出する何日か前に父に話

をしてもテーブルに頭を叩きつけられ、

倒れた拍子に後頭部を打ち付けます。

ボコボコにされます。

ごっつい灰皿で殴られることも。

しばしば。

夏休みは特に毎年地獄のようでした。

友達と遊びに行っても長時間は遊べなく

断らなくてはならないのは

本当に苦痛でした。

そして本当に苦痛なのは

お風呂の時間毎日使うお風呂の

水笠量をチェックされてました。

お風呂のお湯を追加で出したり

シャワーを使うことは

私は禁止されていました。

お皿洗い時も

どんなに寒くても

お湯を使ってはいけませんでした。

少しでも使うと罵声を浴びせられ

殴る、蹴るの暴力続き。

周囲で笑いものにされました。

私は皮膚がカサついてもクリームも

買ってもらえない状況にいました。

暴行はなくならず。。。。

それから、

兄が小学校6年の時に

学級崩壊が始まりました。

この時兄は黒帯の試験サボります。

段持ちになると本当に守りたい時に

人を守れなくなるとか。

程なくして刃物を持った同級生に

兄は目を刺されます。

かろうじて眼球は避けられましたが。

父の怒りは収まらず。

「何のために幼少期から喧嘩を

教えて勝ってくるまでは

家に帰って来るなと!」

人が叩き込んで来たか、

かわかったものじゃない!と。

時は少し進み

知り合いの人が

怒られてもいいわえ!

と夏祭りに連れて行ってくれます。

だが、帰ると、

兄は盲腸になっていたらく

こんなあ忙しい時に何処で何をしに

行っちょたな!とこの日はさすがに、

殺される思いをしました。

知り合いの人の浴衣が

一気に血で染まりました。

逃げ場はありませんでした。

そしてカンシャクを起し続けた父は

ベランダに出てハンガーで首吊りをし、

矢先にハンガーで

自分の首を切ろうとします。

なんとか自殺は免れましたが、

隙をついて荷物をまとめて

逃げ出します。

急いでタクシーを捕まえます。

私は知り合いの人の自宅を

たらい回しに

された挙句に

警察により。保護されます。

被害者ぶり父が捜索願を出していたからです。

私はどうしても家には帰れない理由を

話し警察により

訳あって家族がいなかったり、

暴行を受けたり

何かしら問題を抱えた子供の

行きつく施設に保護されます。

が、

束の間、そこでも親がいないことに

施設の役員のはけ口に子供が

いわれのないのとで

罪をなすりつけられたり

暴力を振るわれていました。

毎朝5時に起床で叩き起こされました。

ランニングが始まるのです。

それから自分達の食べる食材は自分達で

採らないといけませんでした。

だけどそんな環境の中で

始めて自分のペースでご飯を食べて

も良いと言ってくれる人達

暖かい団らんの中で食事をとれることは、

あたしの中で幸せでした。

ですが、

役員による

偏見・差別・暴力は辛かったのだろう。

と思います。

そして毎度夜な夜な行られる

集会。偏見のなすりつけ。見れたものでは

ありませんでした。

それから男性陣3名による脱走が始まります。

基本親の許可がなければ外に

出ることは禁止されてる施設でした。

そこで脱走した2名が捕まりました。

翌朝周囲の話では、

暴力は酷いものだったといいます。

2人は決して口を割りませんでした。

暴行尋問は朝まで続いたといいます。

時を程なくして。。。

父がカンシャクを起してピークだと。

施設の人が勝手に父と契約を交わし

私は家に帰されるのでした。

。  。  。   。  。

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